はじめまして。
ご覧いただきありがとうございます。
簡単な自己紹介もかねて、わたしがミニマリストに至るまでのお話を綴ります。
ミニマリストとは
持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。「最小限の」という意味のミニマル(minimal)から派生した造語。
(コトバンクより)
きっかけは?
まず湧き上がってきたモノがいらない衝動。
本やネットでの発信などに共感して、ミニマリストを目指すようになりました。
大きく思い切ったのは
ベッドや机と椅子、掃除機に布団乾燥機などと大型めな家具家電をまとめて手放したところからかなと
捨てるにもけっこうなお金がかかると知り、ビックリした記憶があります。
とはいえ、もともと桁外れに大量のモノがあったわけではなく、いわゆる汚部屋というわけでもなかったのですが
いつしか普通でさえ苦痛になってしまったようです。
とりあえず持ってればいいじゃん的な発想も許せなくなっていて
(※もちろん自分個人の中のみ。
所有することが好きな方もいる、価値観は人それぞれです。)
できるだけ楽にしたい!効率よくしたい!無駄をなくしたい!
とにかくなるべくシンプルにしたい!と、どんどん強く思うようになりました。
手帳やデータ管理もオンラインにシフト
決済もほぼ完全キャッシュレスへ
いかにミニマルに効率化できるか
いろいろと見直し続けています。
ありすぎることの弊害
現代社会には、情報も含めモノ・コトが溢れています。
自分自身も恵まれているが故、有り難くさまざまなモノ・コト、欲しかったこと含めあらゆることを得すぎたのかもしれません。
そこに自分が、暮らしが追いつかず
必要以上にありすぎることが負担になっていったのだと思います。
「最低限で(が)よい」という価値観の人間だから
暮らしに時間を費やしてこなかったことで、
ズボラで小さなわたしのキャパでは、把握管理しきれていないモノ・コトが気がついたらいっぱい
あることへのストレスが大きかったのだと感じます。
自分と向き合う時間
今や人生100年時代。
たとえどん底に落ちたとしても
むしろ、いったん頂上に登り切りやりきったと感じても
まだまだ進まなければ、生きなければなりません。
わたしもこの先どう生きるかをみつけたいと悶々としていました。
出世欲というかプライドというか
めっちゃ稼ぎたいとかいう願望もなく
穏やかに生活ができればそれがいちばんなタイプで
やりたいことをしたい
(やりたくないことや納得しないことには頑張れない)
思ったことはやってみないと気が済まない性分
ワガママだ贅沢だと言われればそれまでですが
本来の自分らしくいられないと
自分が整っていないと
それこそ社会のなんの役にも立てないと思うのです。
気がつけはもう10年以上、仕事に休みなく走り続けてきて
これからの自分と向き合う時間が欲しい、休みが欲しい
自主休暇を密かに(でも本気で)望んでいたところに
タイミングよく世間の自粛休暇が舞い込んで
身体も暮らしも整えるのに最適な環境をいただきました。
身体も暮らしも整える
おかげさまで、
適度な運動・食事
充分な睡眠
規則正しい生活をし
自分自身を見直し
服やらモノやらその他さらに一気に捨てることを実行したら
この上なく気持ちよくスッキリしました。
暮らしを整えるって大切です。
これぞ快適
これぞ理想的
求めていた、わたしをリセットしてくれるもの
それはミニマルでシンプルな暮らしだと、腹に落ちました。
ほんとうに大切なものと個性
モノ・コトが少ないと、本当に大事なものがみえてきます。
自然とこだわりがうまれ、自分らしさに気づくことができます。
進むべき道もおのずとみえてきて、自己が確立されてくると感じます。
ズボラで不器用なわたしには、とても合理的なスタイルです。
確か運勢は12周期
12年ほど前には、沈んでいたところからエアロビクスに救ってもらって
今また違和感を感じているところをミニマリズムに救ってもらって
ここからまたスタート。
これからの生き方
新たな意味をくわえ改めて
「素をもって絢となす」を目指し
人間は
素(誠実な心)が先で、礼(外見)が後にくる
=誠実な心をもって、礼儀をわきまえれば、より美しい
⇒素(誠実な心)が無ければ、どんなに化粧をしても、絢(美人)にはなれない
つまり
外見の美しさとは、内面の美しさがあってこそ
自然にありのままの自由な生き方を
健やかでシンプルな自分らしい暮らしを
模索していきたいと思います。
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